昭和四十五年六月四日 夜の御理解
只今御祈念前に、今日は松栄会でございますから、集まって御祈念を皆さんしておりました。御祈念が終わってから皆さんに一言申しました事ですけれども、たまたま私、この青年会広報というものをちょっと開けて見せて頂いたところにこんな事が書いてあった。「世の中の人達、全てにお道のおかげを頂いてほしいという願いを前提の元に、金光教をもっとPRしていく必要がある。」というような事が書いてあったんですけどね。誰でも自分が金光様の信心だけじゃないですね。自分が例えば、その信心によって助かり、家庭円満ないわゆる幸せな生活を信心によって営んでおるならば、誰しも何の宗派、宗しの方だってです、こげな有り難い信心を世の中の多くの人に伝えていきたいと思うのは誰でも同じなんです。そりゃまぁ同じ事なんですけれども、果たして現在の金光教の信心はね、世界の全ての人達の上に、PRしていけれる内容というものを打ち出しておるか持っておるかという事をね、やはり私、思うてみなければいけないと思うんですよ。そういう意味でね、今、合楽で私がまぁ明けても暮れてもその事ばかり云うておる事は、これはそういう内容を持ってしての金光教であるならば、世界のどういう人達の上にもですね、これをPRしていってまぁ聞く聞かんは別として、その多くの人達に聞いてもらえる内容を持っているんだという風に、私は感じたんですけれどね。例えばお道の要目というですかね「御取次成就信心生活運動」という、そういうひとつの運動が展開されてもう二十年になります。まぁいうならそれがスローガンであり旗印である。その要目の全てが【 】の入り口の所に額に掛けてあるでしょう。あれが教壇のいわゆる要目なんですよね。皆さんあれをあまり読みよる風じゃないですけれども、改めてひとつ読んでみましょうかね。果たしてこういう要目で全ての人達に金光教は素晴らしいんだ、金光教では助かれるんだと説明していけれる内容を持っておるかどうかという事ですよね。
「生活の全面に渡り、道の教えをよく聞き、道の教えを元にし問題の性質をよく見て頼み合いで手続きをもって御取次を願え。
一、御取次を頂いてあらゆる事柄、分けて人間関係の上におかげを受けていくよう。
一、信心の稽古をさせて頂く事。
これが要目なんです。果たしてこういう要目がね、私はだからちょっとこれはこういう風な要目に切り替えたら、これは私の云うておる、云おうといておる事、又、私のその願いというものは、これに二言三言の言葉で尽きる事じゃないですけれど、日頃頂いておる内容を皆さんが思うてみてですね、ここに私は要目と。同じ事ですよ。「生活の全面に渡り、道の教えをよく聞き」という所まで同じです。一、道の教えを元にして、問題の性質に問わず、自らを掘り下げ和の心をもって問題を解消していこう。と、これがいわゆる要目の第一条のところの文字を置き換えた訳ですね、このように。問題の私は性質を問わずですね、その問題に直面したならまず自分自身をね、深く見つめ掘り下げさせて頂いて、そこにいわゆる何といったってお道の信心の、私は要目の筋金にならなければならないものは、和賀心だと思います。「生神金光大神 天地金乃神一心に願え おかげは和賀心にある」とそれなんです。ですから、私はその和の心。どんなに難しいこんがらがった問題でありましてもね、お互いが和の心を追求していく。それが人間関係の上には勿論ですけれど、天地との和、調和といったようなものまでも、掘り下げさせて頂く所にですね、問題が無くなる。問題が解消していくという程しのものが、和の心だと思うんですね。そういう事を例えばきょうがく的に、又は自分の体験の上の事についてです、いわゆる私が云う「和賀心学」というものをもって全ての、例えば御教えの全てがこの和の心と賀の心を頂く事の為にあると思うくらいですから。そこんところを問題を解消していく。それから「一、御取次を頂いてあらゆる事柄に賀び(よろこび)をもっておかげを受けていくよう」という風に置き換えてある。信心の稽古をさせて頂くという事は同じ事。信心の稽古はそのような事をふんまえての信心の稽古でなからなければならない。それを要目にするという、例えばこれはとっさに書いたものですから、もっと垢抜けしたものにしていかなければなりませんけれども。それが要目であるならばです、ここに青年会の方が云うておりますように、世界にPRしていけれる、私はその内容を十分に実際は金光教は持っているんだと。持っているけれども、その表面にだしどころ、そこが違うんじゃないかと。もう徹底、私はお道の信心は「和賀心」を追求していくという事以外にはないのだ。もう教えの全てがそれを頂く事の為に教えがあるのだというてさえ、よいくらいですよね。だから皆さん、今合楽で私が云っておる、その和賀心時代に突入したと。まぁいうならば様々な時代、水の時代、火の時代、又は蒸気の時代、電気の時代、電子の時代、そしてその全てが幸福を求めての時代であったけれども、そのどれをもってしても人間の幸福というものには、行き当たらなかった。そこで人間の限界のギリギリというところの時代というのが、原子時代でしょう。その原子時代に至ってもやはり人間の幸福というのは約束されなかった。だからもうここにいよいよ和賀心時代という時代が来ても当然だと。七十年という年柄はそういう年柄なんだと、私が声を大にして云っておる事をです、本気にその事に取り組んでです、その事の為の学問ですね、いわゆる「和賀心学」まぁそれをきょうがくというても良いでしょう。きょうがくを身に付け、同時に自分がそれに成る程、和の心さえ持てば問題が解決するんだ、成る程、賀びの心、賀の心、賀の心を頂くという事がおかげの全てがこれに伴うものだという体験をね、お互い一人一人がその体験をひっさげて、世界に市場に出そうというのが私の生き方。この体験を持って世の中の多くの人達にこの事を知らせていこうという、そういう事がね、要目の内容にならなければいけんのじゃないかといったような事を考えてみたんですけどね。どうでしょうか。どうぞ。